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 三日前より、昨日より。
 今日、隣を歩く、その横顔が好き。




ただ君に繋がっていく





理津りづー! あなたの王子がお呼びですよ〜」
 含み笑いをした友人の声が、廊下の傍から流れてくる。理津はポーチにリップをしまう途中で手を止めた。リップにつけられていた甘い桃の香りが鼻先に微かに残る。教室のざわめきは相変わらず止まないが、周りの音が一瞬にして遠退いたのは紛れもなくその言葉のせいだった。
 理津は弾けるように顔を上げて廊下の方を見ると、友人の蘭子が廊下側の席からピースサインを送っていた。そして、その背後の窓に佇み、不機嫌そうに眉間に皺を寄せている人物を見て、口元が自然に緩んだ。
りくちゃん!」
 ポーチを鞄にしまい、肩に掛けて小走りに駆け寄ると、陸斗は眉を寄せて蘭子らんこを見下ろしていた。
「てめー、俺が先輩ってこと、忘れてねえよな」
「ふふ、忘れてないですよ、奥沢おくざわ陸斗りくと先輩。ああ、今日はちゃんと牛乳をお召し上がりになりましたか」
 蘭子が振り向きざまに顔を仰ぎ、口元を緩ませて挑発的な視線を送ると、陸斗の眉間にもう一本皺が入った。理津は顔色を変えると慌てて言葉を挟んだ。
「ら、蘭子ちゃん。陸ちゃんはほら、これからだから、成長期」
 理津が眉尻を下げて微笑むと、蘭子は盛大に噴出して、お腹を抱えて苦しそうに笑い出した。理津は、状況が飲み込めずに首を傾げる。陸斗は怒っている様な半ば呆れた顔をして、理津に「おい」とため息交じりに呼びかけた。
「それ、フォローになってねえよ」
「理津ってば、あはは、高二にもなってこれから成長期ってありえないわよ」
 蘭子の言葉でようやく事の次第を理解した理津は、陸斗に謝ろうと慌てて顔を向けたが、陸斗はすでに廊下を歩き始めており、無言の背中がゆっくりと遠ざかっていく。
「あ、陸ちゃん。……蘭子ちゃん、また明日ね」
 蘭子に手を振りながら歩き出し、理津は廊下を出て陸斗の背を追いかけた。機嫌を損ねたオーラが背中から嫌な空気を持って伝わってくる。
 陸斗と蘭子は、仲が良いのか悪いのかくだらない事でよく口喧嘩をしている。大抵は蘭子の方から仕掛けることが多いが、陸斗の癇に障る事を分かっていて言うものだから、間に入る理津は苦労が耐えない。二人とも本気でないにしろ、もう少し大人になってお互いに仲良くして欲しいと思う。本当に大切で大好きな二人だからこそ、尚更そう思った。

 理津は小さく息をつくと、微かに口元を緩ませて陸斗の隣に追いつき、並んだ。
「陸ちゃん」
 声をは弾ませて笑いかけると、陸斗はまだ不機嫌そうな様子で相槌を打った。理津よりほんの十数センチ上に寄り添う肩。伸び悩む背が陸斗のコンプレックスである事を理津は昔から知っている。理津にとっては、あまり差のない身長さえ大好きな陸斗を構成する愛しい要素なのだが、だからこそコンプレックスというのだろう。結局、気にするのは本人ばかりだ。物事は全て両面性を持っていて、どちらを採るかで善し悪しが決まる。
 理津はそっと陸斗の横顔を窺った。前を見据える陸斗の目。黒でもなく、茶でもなく、色素の薄い灰色がかったグレーの瞳は、理津の密かな自慢だった。例えば、人が陸斗と接していて何か違和感を覚えたとしても、簡単には気付かない。陸斗の隣にずっといた理津だからこそ知っている、幼なじみの秘密の証だった。
「私ね、陸ちゃんのこと、大好きだよ」
 陸斗は顔色一つ変えず、返事をしない。それでも、理津は胸の内に満たされていく温かい気持ちにくすぐったさを覚えた。昔から、自分にとっての男の子は陸斗だけだった。手を伸ばせば温かい温度に辿り着く。陸斗の指にそっと滑らせ絡ませると、柔らかく握った。
 不器用で、口が悪くて、優しい手。
「すっごく、すっごーく好きだよ、陸ちゃん」
 理津は前を向いたまま陸斗の肩に頭を傾けて寄せると、頬を緩ませて小さく笑った。「好き」は「ごめん」よりも響きが温かい。いつだって、陸斗に伝えたい言葉はプラスの感情だ。例え顔色を窺わなくても、沈黙から陸斗の表情が読めた。
 廊下を行き交う同学年の生徒が、すれ違い様に二人を目で追う。特別有名人でも、ベストカップルと評されているわけでもないが、こうして二人で帰る日々はすでに日常と化していて、寄り添う事に違和感はなかった。隣に陸斗がいないことなど考えられないほど、長い時間二人は一緒に過ごしてきた。
「理津」
「なーに」
本条ほんじょうに言っとけ、そのうち上から見下ろしてやるってな」
「うん」
 理津は口元に手を当てて小さく笑うと、「そうなったら蘭子ちゃん、悔しがるね、きっと」と言葉を返した。
 誰が何と言っても、陸斗は理津にとって一番の男の子だった。口は悪いが、陸斗が触れる手はいつも優しさに満ちていて、理津が女の子であることを教えてくれる。紅茶に入れた角砂糖がさらさらと崩れてふんわり溶けていくように、温かい赤に染まっていく自分を知ったのは、陸斗が好きと言ってくれてからだ。

「奥沢くーん」
 背後から声がして二人が振り向くと、目が合った女の子は目元を緩ませて優しく笑った。廊下を歩いていた数人の男子生徒が立ち話を止めて彼女に視線を送る。
束宮つかみや
 陸斗は変わらぬトーンで言葉を返すと、女の子はスカートの裾を可憐に揺らして歩み寄ってきた。やや茶色を帯びた黒髪は緩やかに肩にかかり、背中へと流れる。ピンク色の薄い唇からは形の良い白い歯がのぞいている。そのような口元から発せられた声は、透き通っているのにふんわりと淡い、桜の花びらが風に揺れて落ちるような柔らかさだった。学校に通う誰もが知る、海瑛かいえい高校のマドンナ、二年生の束宮つかみやれんだった。
 恋は理津と目が合うとにこりと微笑み、そのまま陸斗へと顔を戻した。
「5時間目の授業のノート、借りたまま忘れちゃって。奥沢君、言ってくれればいいのに」
 口先では拗ねても顔は笑顔のまま、恋は胸元に抱えた青いキャンパスノートを両手で差し出した。
「ああ、そうだったか。悪い」
 陸斗はノートを受け取ると斜めに肩に掛けた鞄を開けて中にしまった。
「どうもありがとね。隣が奥沢君でホント助かっちゃう」
 手のひらを合わせて上目遣いに陸斗を見上げると、恋はふわりと笑った。真っ白なカキ氷にとろりと苺のシロップをかけたような甘く可愛らしい様相は、今すぐにでも食べたくなるような女の子だった。
「授業中寝るなよ」
「はーい、反省してます。じゃあ、また明日ね、奥沢君」
 恋は陸斗に軽く頭を下げ、理津にまた目を合わせて微笑むと、踵を返して来た道を帰っていった。陸斗はすぐに前に向き直り、再び歩き出したが、理津はなかなか前に向き直る事が出来ずに慌てて陸斗の後ろを追った。
「いつ見ても可愛いねー、束宮先輩」
 感嘆の声を上げると、横を向いた陸斗と目が合った。陸斗は黙って理津を見つめると、やがて向き直る際にぼそりと小さく何かを呟いた。理津は「え?」と声を上げたが、陸斗はそれ以上何も言わず、歩くスピードが少し速くなる。
「ああ、もう待ってよ陸ちゃん。速く歩くと風が寒いよー」
 口では不満を漏らしたものの、理津は陸斗の背中を見つめてそっと笑みをこぼした。不器用な陸斗が見せる、さりげない優しさに胸が熱くなる。聞こえない振りをしたのは、陸斗のためだった。本当はきちんと耳に届いていた。
 ぶっきら棒な陸斗の言葉。

『……お前の方が可愛いだろ』








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