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 一番はあの子に譲るから。一番になれるなんて、思っていないから。
 だからせめて、君の二番目になれたなら……。
 そう思っていたのは、一人じゃない。



2番目に大切



「おっせーな、冬輝とうきたち」
 白い息を吐き出し不満を漏らすと、卓也たくやは身震いをして橋の手すりに寄り掛かった。雪の代わりに冷たい風が二人の体を吹きすさび、鋭い寒さが針のように皮膚を刺す。マフラーもコートも、夜の寒さの前では何の意味も成さない。雪芽ゆきめは手のひらに息を吹きかけて、卓也の傍に歩み寄った。
「そもそも、橋の上で待ち合わせしようってのに問題ある気がする」
 わざわざこんな寒い場所で、と続けて、雪芽はポケットの中に忍ばせたホッカイロを握った。冷たい指先に熱がじんと沁みる。その灼けるような熱が胸にまで響いてしまったのか、心なしか胸の奥が微かに痛んだ。冬輝が遅い理由など、雪芽には十中八苦検討がついた。
 思い直すつもりで空を仰ぐと、凛とした真夜中の空が視界いっぱいに広がる。年越しを迎えて三十分後の空は、寒さのせいか空気も澄んでいる。空に散りばめられた星の輝きも、新年にあやかって光を増していた。悪戯な冬の風が、マフラーを剥がそうと二人を容赦なく襲う。
「つーか誰だよ、年明けたら会おうなんて企画だしたのは」
「卓でしょ、もう」
 雪芽が横目で視線を流すと、卓也は「げっ、俺かよ、マジ最悪」と額に手を当て笑う。雪芽は小さくため息を付きながら、もう一度空を見上げた。
 年が新しくなったところで、人の関係は決してリセットできない。お賽銭を奮発して祈願した願いさえ、叶わないものだと年を経るごとに強く思い知らされる。
「冬輝……渋谷しぶたにくんはね、きっと……蜜実みつみちゃんと来るから」
「あー、だから遅いのか。蜜実、遅刻魔だからなー」
 卓は納得した様子で明るく笑った。雪芽の言葉の真意など、一向に気付かない様子で言葉を続ける。
「あの二人って幼なじみだからな。親同士が友達なんだろ。何かすげーよな、そーゆーの。高校まで一緒ってのも、なかなかないもんだぜ」
 雪芽は言葉を返そうとしたが、相槌を打つだけに止めた。口を開けば、余計な言葉まで吐いてしまいそうになる。高校まで一緒なんて、どちらかが相手のために、一緒に居たくて合わせた結果だ、と。そして、それはおそらく……。

「たったの三年、か」
 地面をぼんやりと見つめて雪芽は独り呟いた。声に少しだけ空笑いが交じる。
 近くに外灯のない橋の上、真っ暗な地面は何も見えず、心まで墨色に染め上げていく。入学式からもうすぐ三年。同じ人に心を奪われて三年。仲の良い親友に憧憬どうけいと嫉妬を抱いて三年。
 三年、何も変わらなかった。相変わらず、彼にとって幼なじみの親友役から動けないでいる。しかし、三回目の冬ともなると、心はすさび過ぎて逆に穏やかになった。足掻いても、もがいても、二番目にすらなれやしない事を痛感した。

「お前さー」
 卓也の呼びかけに雪芽が顔を上げると、卓也は目を逸らして頭を掻きながら言い難そうに口元を曖昧に開いた。卓也が言いよどんでいる様子を、白い息だけが漏れることから察した。
「俺とお前、どう思うよ」
「え?」
 雪芽が首を傾げると、卓也はさらに困った顔をする。
「だからさ、俺とお前、初めは他人だったわけじゃん。三年経ってもさ、そのままなわけ」
「違う、けど。友達でしょ、一応」
 疑問の拭えないまま仕舞いには顔をしかめると、卓也は反対に優しく笑った。口元は上に上がっているが、眉尻は下がり眉間にうっすらと皺が寄せられていて、どことなく切なそうな、泣いている様にも見えた。
「なら、まー、つまりさ、そうゆーわけだ」
「何それ、意味が分からないよ」
「三年間、確かに時間は流れたってことだよ。お前にも、俺にも、蜜実にも、冬輝にも。俺はお前を知って、好きになって、諦めたんだ。そんな三年間が……さ、無駄になってたまるかよ」
 呼吸が喉に詰まり雪芽が目を見開くと、卓也は空笑いをして「そんな顔するなよ」と弱々しく付け加えた。バイクが一台、大げさな音を立てて横を通り過ぎていく。去って行く後姿を自然と目で追い、向き直ると、卓也は手すりに寄り掛かり空を仰いでいた。口先からほのかな白い息が立ち昇る。黒目がちな卓也の瞳は、さらに深みを増して黒蜜のように艶やかに潤んでいた。
「本当は、企画したの、新年明けてお前に一番に会いたかったからなんだぜ」
「た、く……」
 雪芽は開きかけた唇を、再び閉ざして俯いた。ポケットの中のホッカイロを強く握り締める。奥歯を噛み締める歯がゆさに似ていた。返す言葉がない。優しい言葉も、厳しい言葉も選べなかった。ただ沈黙に全てを委ねてしまう。寒さが少しずつ遠のいて、感覚よりも感情が支配していく。

「冬輝」
 雪芽の体が微かに揺れた。卓也は見逃さず、小さく息を漏らすと言葉を続けた。
「何で、いつまで経っても苗字なのか、俺が気付かないとでも思ってたのか」
 雪芽は返す言葉もなかった。気持ちを傍にいた卓也に気付かれていた事を思い、卓也の気持ちを考えたら、恥ずかしさよりも苦しさが胸を締めた。
「重要なのは時間の長さじゃない、気持ちだろ」
 卓也の声は穏やかだった。お調子者の卓也からは想像しがたい、もう一人の卓也がいるような気さえした。雪芽は下を見つめる事しかできなかった。溢れてくる涙を止められそうになかった。卓也の手のひらが頭に優しく触れ、にじんだ瞳からぬるい温度の流れが頬へと伝う。
「卓、たくっ……」
 言葉にならない小さな叫びを、喉の奥から搾り出す。涙さえ凍らせる冬の風は、卓也の手の温もりによって溶かされていく。
「雪芽の泣き顔、俺、弱いんだって。まあ、泣かしたのは俺なんだけど」
 卓也はただ静かに笑った。
「バカじゃないの、何でそんな、そんな」
 優しいの。込み上げてくる嗚咽が言葉をかき消す。卓也がどんな気持ちで今、自分に向き合っているのか、理解し過ぎて痛かった。本当は優しい言葉をかけることさえ、針を飲み込むに同じ事だ。
「でも、気持ちだけじゃ敵わないの。時間なんだって、思っちゃうの」
 言葉を吐き出す度に胸を締め上げられる。誰にも言えなかった言葉。それを卓也に言うことは卓也を傷つける事だと分かっていても、卓也の優しさに甘えずにはいられなかった。心の奥に溜まりすぎてどろどろと腐りだした醜い感情がうみとなって、心の中でくすぶっていた。
 冬輝、と何度も名前で呼ぼうとした。けれど、いつも喉の奥で引っかかってしまう。蜜実が呼ぶのと同じ名前で呼べなかった。蜜実と呼び方さえ重なってしまったら、ますます蜜実の陰になってしまいそうだった。渋谷くん、と苗字で呼び続けた三年間が精一杯の自己主張だった。
 三年、頑張りすぎるほどに頑張った。

「なあ、雪芽、見てみろよ」
 卓也の言葉に、雪芽は俯きがちに答えて、卓也が指す川を見るため振り返った。川は昼間の様相に反して、夜空よりも深く黒くよどんでいた。墨汁がそのまま流れているように見える。
 雪芽は寒さと泣いたために鼻をすすりながら、川面を眺めた。動きさえ見えない暗闇でも、確かに川は波打ち、流れていた。
「今だって見えなくても時間はずーっと流れてて。暗いと何も見えないように思うけど、月の光が当たってる場所は、ちゃんと見えるし」
 雪芽は答える代わりに鼻をすすった。
「どんなに傍にいたって、そいつの全部が見えるわけじゃないから。だから……」
 最後の言葉を言おうとした瞬間、卓也は声を上げて空を見上げた。雪芽もつられて顔を上げると、手すりに置いた手のひらに小さな水溜りが出来ていることに気付いた。後から後から、手のひらに落ちては崩れて水となる。空気に漂う塊は、少しずつ大きさと重みを増しているように見えた。
 空を見上げると、真っ暗な空に白い塊がふわふわと散り、漂っていた。
「マジかよ、寒いわけだよな」
「わ……花びらみたい。六花りっか、だっけ」
 雪の結晶を花に見立てて花弁が六弁あるから六花と呼ばれる雪の異称を、小学生の時、理科の先生が言っていた事を思い出す。
「さすがに風邪ひくだろ。つーか、あいつらいい加減遅いぞ」
 大げさに地団駄じだんだを踏む卓也を見て、雪芽の頬は微かに緩んだ。言葉にならない想いを、そっと胸にしまう。
 一番目に冬輝を思う。それは悲しくも変える事は無理だろう。けれどもし、二番目に誰かを思うなら、大切なのは紛れもなく卓也だと。
 冬輝への想いが叶わなくても、決して一番じゃなくても、冬輝にとって自分の存在が、卓也のようになれたら、と思えた。
 一番は蜜実に譲るから。一番になれるなんて、思っていないから。
 だからせめて、君の二番目になれたなら……。

「あ、来た来た、あれじゃね? おーい」
 卓也が手を振り上げる。雪芽も同じ方向に目を向けると、外灯の下に二つの影がぼんやりと見えた。雪の華よりも寒さよりも、卓也の優しさが雪芽の目には二人の姿を霞ませているような気がした。
 そして、遅れてきた二人の下へ駆け寄ろうとした瞬間、一歩先に出た卓也はそっと流すように呟いた。

「こうして隣に居たって俺とお前、ちっとも恋人同士じゃないだろ。そんなの、俺たちだけじゃねえかもって、そーゆーこと……」

 足を止めた雪芽の前に、卓也の背中が切なく広がった。





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