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「じゃあ、部室行ってくるね」
 未里はわざと声を弾ませて武志に笑顔を送ると、手を振って小走りに駆け出した。あのまま一緒にいたら、武志への罪悪感と青への想いに押し潰されてしまう。記憶を自由に消すことができればいいのに、と未里はそっと心の中でため息を漏らした。
「先輩、俺も手伝ってきますから」
 背後から聞こえる青の声に、未里は思わず足を止める。
「結構な量でしょ、あれ。先輩を助けるのも一応後輩の務めっスからね」
「そうだな。頼むぞ、矢崎」
 未里がゆっくり振り向くと、青がすぐ側まで歩いて来ていて、固まる未里の肩をそっと押した。触れられた肩に驚いて、未里は微かに体を震わせた。
「香月先輩、後輩なんて上手く使うもんスよ」
 そういう青の口調はいつもと全く変わらない。しかし、その声がいつもよりも耳に熱く残ってしまい、未里は戸惑う声を上げながらも促されるままに歩き出した。

 校舎の角を曲がると、テニスコートが見えなくなった。青は未里の隣を歩いている。背丈はほとんど変わらないが、若干じゃっかん青の方が低い。細い手足が形よく伸びて、筋肉のつき方も自然で綺麗だ。青は無言のまま、両手をズボンのポケットに突っ込んで歩いていた。
 肩が触れそうで触れない。横を向くこともできず、未里は視線を落として、地面に描かれた二人の並んだ影を見つめていた。
「せ、青くん、テニス上手くなってきたね」
 沈黙に耐えられず、未里が歩きながら話しかけると、青は「……そうっスか」と素っ気なく言葉を返した。冷たい青の態度に未里は心がきしんで、開いた口を静かに閉じた。そのまま口の端に力を入れて引き結ぶ。
 やはりあれは夢だったのだ、きっと寝ぼけてバカな夢を見たのだと、心が急降下で落ちていった。
「武志とあれだけ打ち合えるんだもん。すぐ追い越しちゃうかもねー」
 口だけが勝手に言葉をつむいでいる感覚で、未里は笑った。もし青が忘れたいのなら、自分も俗に言う“犬に噛まれたつもり”で忘れようと思った。そうするしか、湧き上がった自分の心を静める術がなかった。

「俺はもう……追い越したつもりだけどね」
「えー、青くんってば、もうホントに口だけは達者なんだから」
「……だって、それを一番よく分かってるのは先輩の方でしょ」
「え……」
 未里が言葉を閉ざすと、青が横を向いた。どちらともなく足が止まる。
「ねえ、俺の方が好きになったでしょ」
 その言葉に、未里は思わず言葉を飲み込んだ。目を見開いたが、青の真っ直ぐな視線を受け止めるだけの余裕もなくすぐに逸らした。喉元に力が入らず、覚束ない口元をうっすらと開いた。
「青くんは、こ、後輩だから……」
「へえ、先輩は“ただの後輩”と、あんなキスできるんだ」
 青の表情が悪戯に変わっていく。
「さっきも、俺のことばっか見てたよね。あれって何で?」
「あれはっ……二人を見てたの。青くんだけじゃ……ないから」
 未里は再び視線を落とした。まるで尋問をされているようで、このまま心を全て読まれてしまうのではないかと怖い。ダメだと何度も頭に言い聞かせるのに、その声がささやくたびに心を抜き取られていく感覚にめまいがする。

「青くん、本気じゃなかったでしょ。私も忘れるから、青くんも気にしないで忘れて、ね」
 念を押して明るくそう言うと、青の表情が微かに曇った。
「言っとくけど本気だから。押してダメなら引いてみろ……てね」
 青がゆっくりと手を伸ばす。未里は怖くなっておびえる様に顔を背けた。
「先輩は忘れられんの、俺としたキス」
 青の声が甘く糸を引いて心に響き、青を求める心のうずきに侵食されていく。触れて欲しい気持ちと、触れて欲しくない気持ちが交差する。もう一度青に触れられたら、もう止めることができない気がした。
「いいかげん、素直になれば? 俺が好きだって、顔に書いてあるよ」
 青がゆっくりと近づく。その度に、未里は後ずさりをした。こうゆう時、背が違えば真っ直ぐにその視線を受け止めることもないのに、目の前に迫ってくる、意志の強そうな青の視線は、未里を心ごと捕えて放さない。
「や、ダメ、ダメだよ」
「何がダメ?」
「だって、私は武志が……」
 未里は思わず口ごもる。気持ちとは裏腹な、言い訳がましい自分が後ろめたい。

「千川先輩なんて関係ないじゃん」
「どうして? 青くんだってあんなに仲良いのに」
「そうだけど、俺はそれ以上に先輩が好きだから……。先輩が欲しくて、どうしようもできなくて、こうするしかなかった。ねえ、先輩は違うの?」
「どうしてよ、何でそんな意地悪言うの。私だって、どうしたらいいのか分からなくて。真剣に、悩んでるのに……」
 未里はとうとう俯いた。もう想いを抑えるのが精一杯で、目の縁に溜まりだした大きな水溜りに、視界がぼやけていく。
「青くんが好き、好きになっちゃったの。止められないの。どうして、どうしてキスなんかしたの……バカぁ」
 張り詰めたものが切れてしまった。無意識に涙が溢れて、心に溜まっていた想いまで溢れ出す。
 青は何も言う様子がなく、ただ静かに時間が流れていく気がした。一度泣き出してしまうと、もうどうしたら良いのか自分自身でも処理に困る。未里が指先で何度となく涙を拭っていると、肩に青の手がふわりと触れた。
 未里が少し顔を上げると、青の顔が目の前にあった。

「……今の、ホント?」
 未里は返事をする言葉も声にならず、鼻をすすって小さく頷いた。泣き顔を見られるのが恥ずかしく、上手く視線を合わせることができない。
 青は顔を少し傾けると、未里に触れるだけのキスをした。初めてキスをされた時は、その柔らかさよりも熱い感覚が唇を支配していたのに、今改めて受けた優しいキスに未里はまた涙が溢れそうになってしまった。好きな人とするキスが、こんなにも嬉しくて切なくて満たされるものだということを初めて知った気がした。
 心の中の風船がどこまでも膨らんで胸がいっぱいになる。青への想いが溢れて止まらない。もっとキスをして欲しくて、もっと側に寄りたくて、その腕で強く抱きしめて欲しいと思う。
「青くん、好き」
 未里はかすれる声で頼りなく呟いた。少し潤んだ赤い目で青を見る。いけないと思うことも、許せないと思う自分の気持ちも、青の前ではどうでもよくなる。ここが学校であることも、人目があるかもしれないことも関係なかった。
 青は微かに口の端を上げてため息を落とすように笑うと、未里の耳元にそっと優しくキスをして囁いた。
「先輩、もっとキスしていい?」
 熱っぽい吐息が未里の心をあおる。頭がくらくらして視界が霞むのは、夏の暑さのせいではなかった。
 君を想う数だけ、深いほど深く、何も見えなくなるくらいにキスをして。
 もう君以外……見えないの。







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