リビングに入ると、真っ先に目に飛び込んできたのはその笑顔だった。
「お早う、
ソファーに腰掛けた男は、穏やかに手を挙げた。眼鏡の奥の瞳がうっすらと弧を描いて、優しい笑みが浮かんでいる。それは、数ヶ月ぶりに見る父、順一の姿だった。
「おはよ。帰って来たんだ」
依緒は大して動じることもなく、眠たそうに目をこすると父の前を素通りして冷蔵庫に向かった。母は、冷蔵庫の側のガスコンロで野菜を炒めている様子だ。香ばしい醤油の匂いが依緒の鼻先を掠め、食欲を掻き立てる。依緒は白い冷蔵庫を開くと、中から牛乳を取り出した。寝ぼけた頭をすっきりさせるためには、冷たくてほんのり甘い牛乳が打ってつけだ。昨夜は遅くまで受験勉強をしていてまだ寝たりないせいか、ひどく視界が覚束ない。
依緒は視界の隅に父の視線を感じながらも、あえて振り向く事はしなかった。数ヶ月ぶりの再会など珍しいことではない。仕事の関係で父が帰らないのはいつものことで、この家において父親の存在は薄い。ちゃぶ台をひっくり返すような荒々しさも威厳もない父の穏やかな性格が、それに拍車をかけていた。小さい頃はそれなりに寂しかったが、今はもう母と二人の気楽な生活を楽しんでいる。だから、今朝のように父が突然リビングに座っていても、涙涙の再会を果たすほど、感情が湧き立つことはなかった。この時、もう1人の存在を除いたならば……。
ガラスのコップに注いだ牛乳を口に運んだ瞬間、視界に映ったある人物に牛乳の味さえも吹き飛んでしまった。父は相変わらずにこにこと
「誰、その人」
その異様な存在は、パーカーに付いたフードを頭から深くかぶり、ソファーにだらしなくもたれ掛かっている。足はやや前へ投げ出され、客人にしてはいささか態度がでかい気もした。爽やかな朝の白い光がレース地のカーテンの細やかな穴をくぐって部屋の中へと差し込み、微動だにせず座っているその者を照らすが、黒い洋服が光を吸収してしまって、その周りだけが灰色の空気をまとっているように見えた。
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