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内緒の関係
【secret.10 侵食】




 全身に伝わる、陽介の重みが愛しい。
 付き合っている時はいつも人目を忍んで会う関係だった。誰も知らなくて良い。遠くからでも目が合えば、それだけで満たされる。好きな人と話せて、触れて、触れられて、抱きしめ合って。他のどんなことも目に入らなかった。
 放課後の教室で交わしたキス。昇降口で、保健室で、図書室で、彼の部屋で。人には話せないようなこともした。ただ目の前に陽介がいるだけで、この世の誰より幸せだと感じられた。
 だから、愚かだったのかもしれない。他の人にも同じことをしているかもしれないと、そのことを頭では十分に理解しているつもりだったのに、いざそれを目撃した時、目の前に築かれていた甘く淡いピンク色の世界が、がらがらと崩れ落ちた。夢から覚めてしまった空しさと、自分が使い古されてしまった人形のように思えて、何の言葉もでなかった。ただ、涙だけが溢れた。

 初めて言葉を交わしたのは2年生の夏の終わりだった。
 別のクラスだった陽介は、すでに依緒のクラスメイトの恋人だった。来るもの拒まず。そういう噂を前から聞いていて、見かけるたびに気になる存在だった。顔が良いから女の子が放っておかないのも無理はない。傍にいる女の子が次々と変わっても、自分だけはあの隣にいくことはないと思っていた。それほど、空気の違う存在だった。
 いつの頃からか、陽介がよくクラスに来るようになって、依緒のクラスの子と付き合っているということを知ったのはその時だった。雨の音が鬱陶しい、梅雨の時期だった。とうとううちのクラスまで来たか、というのがその時の印象で、奪おうとかそういう気持ちは毛頭なく、ただ陽介の話す声や笑う顔を見ているだけで十分だった。心が少し重たく感じるのは、湿気の多い梅雨のせいだと思っていた。

 夏休みも終わりにさしかかった頃、依緒は知香と梨枝子に頼まれて夏休みの間だけテニス部の臨時マネージャーをしていた。マネージャーだった後輩が一人転校してしまい、もともと人数が少なかったので人手が足りなくなったそうだ。募集をすれば応募は山のように来るのだろうが、ミーハーな子は避けたく、時間もないとのことで、手近な依緒が指名された。帰宅部の依緒には部活動というのはとても新鮮で、「先輩」と慕われるのも悪くないと思っていたし、何か新しい自分が始まるような嬉々とした予感がしていた。
 その日は午後から急に雲行きが怪しくなって、すぐさまシャワーのような夕立に見舞われた。テニスコートで練習をしていた部員たちは一斉に校内へと引き、練習は校内の階段や廊下を走る筋トレに変わった。ボール拾いもなくなり、そのぶん仕事に余裕ができたので、依緒は少し休憩をもらい、冷えたジュースを片手にふらりと慣れ親しんだ教室のドアを開けた。

「どうして! 何でだめなの。ねえ、本当に私のことが好き? だったら明日のデート、付き合ってくれてもいいじゃない。友達に陽介を連れていくって言っちゃったのよ」
 入った瞬間、耳に飛び込んできた声に依緒は足を止めた。凄まじいほどの殺気立った声と少々ヒステリックな言い方。聞き覚えがあると思い覗けば、依緒のクラスメイトの女の子だった。
 どうして夏休みなのにいるのだろう。夏の講習に来ていたのだろうか。疑問が頭に上ってくるものの、突然の修羅場に依緒は驚く一方で、なかなか立ち去る事もできなかった。すると、陽介がちらりと視線を向け、ドキリとした。ひどく生気のない目で依緒を見つめる。うんざりしているとも、怒っているとも取れない、全てのことをただ右から左へ流すような。その様子を見て、依緒はクラスメイトに同情した。陽介は目の前の恋人を、もはや他人のように突き放した存在に見ていることが分かってしまった。
 クラスメイトは、依緒に背を向けているため気付かない。依緒はこの場を早く退きたい気持ちがあるのに、どうしてか足が動かなかった。今、クラスメイトが振り返れば、明日から気まずい日々を送ることになる。それでも、陽介から目が逸らせなかった。彼の瞳に捉えられてしまったからか、二人の間だけ、この空間から切り取られたような気がした。
 陽介がふいに笑った。依緒にだけ向けて。どこか嘲笑を含んでいるように感じられた。そして、彼は目の前の恋人を見下ろすと言った。
「お前さ、そんなにデートしたいなら他の男としろよ。ああ、ついでにそいつとヤったら?」
「なっ……」
 クラスメイトの声が止む。喉にコンクリートを詰められたように、言葉も出ず、肩が苦しげに打ち震えていた。
「ふ、ふざけないで!」
 唇を噛み締めて手を振り上げる。その先を想像して、依緒は眉をひそめ息を止めた。







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