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「ぶたれるつもりねえから」
 陽介は腕を掴むと、冷たく言い放った。クラスメイトは言葉に詰まった様子で掴まれた腕を乱暴に振り払った。
「俺の噂、知ってて付き合ったんだろ。来るもの拒まず。だから、去るものも追わない」
 陽介の口調は変わらず淡々としたものだった。ひどい言い方だ。それでは、相手はどうでも良かったと遠まわしに伝えるようなものだ。クラスメイトはもはや言葉もなく、俯いた顔からただ嗚咽だけが苦しげに漏れる。好きな気持ちが音を立ててきしみ、悲しみに染まった重々しい空気が張り詰めたように流れた。愛が憎しみに変わるのは、きっとこうゆう時だ。痛々しい気持ちが依緒にも伝わって、心が切なくきしんだ。
 ふいにクラスメイトが後ろに振り返ったが、依緒に気付くことなくそのまま下を向いて走り出し、依緒がいるドアとは反対の後ろのドアから出て行ってしまった。
 クラスメイトが出て行ったドアを、依緒は暫く呆然と眺めていた。他人の修羅場を見たのは初めてだった。あまりの衝撃に、陽介がまだ傍にいることも忘れていた。

「いい趣味してんじゃん、堂々とのぞくなんてさ」
 ふいに声をかけられて、依緒ははっと我に返った。向き直ると、陽介は窓際に寄りかかって意味深に笑っていた。気まずい思いと言葉を交わした嬉しさが複雑に入り混じる。依緒は手持ち無沙汰な指を絡ませ繋ぐと、すくむ足に力を入れ、やっとの思いで言葉を出した。
「あ、ごめん、見るつもりじゃなくて。えと、じゃ、じゃあ……」
「タダで見て帰るわけ」
 ドアに手をかける依緒を陽介が呼び止めた。思わず動きが止まる。やはりさっき逃げておけば良かったと、後悔がため息となって漏れた。
「ごめんなさい。誰にも言わないから見逃して下さい」
「名前は?」
「え、あ……深山、ですけど」
「ふーん、深山さんね。ま、知ってたけど」
 返ってきた言葉に、依緒は驚いて顔を上げた。

「な、んで」
 話したことさえなかった。目が合ったのもこれが初めてで。陽介は窓から体を起こすと、そのまま依緒の方に歩み寄ってきた。
「だって、いつも俺のこと見てたじゃん。 バレバレ」
 目の前で、陽介が口元を引き上げて笑っていた。自信に満ちた顔。吸い込まれてしまいそうなほど、強く深い瞳。ずるずると陽介の持つ空気に覆われ巻き込まれて、自分の居場所が呑み込まれてしまうように息苦しい。
 ペットボトルを持つ手に力が入った。依緒は耐えられなくなって顔を逸らした。そっと寄せていたはずの想いは、うの昔に気付かれていた。あまりの恥ずかしさに消えてしまいたくなる。
 頭に血が上る。周りの空気が熱い。心臓の音がやけに早い。朝のニュースの占いを見てこなかったが、今日の運勢はきっと人生で一番最悪だ。
「ちがう」
「違うとは言わせない」
 陽介の強い言葉が打ち消した。その強さに、なけなしのプライドを打ち砕かれたようだった。逃げることを諦めたカゴの鳥のように、陽介の瞳に捕まってしまう。

「ねえ、俺にどうされたい?」
 楽しむような声と同時に、陽介の手が手首を掴んだ。直に掴まれると、ドキリとする。このままでは、本当に心臓が壊れてしまいそうだ。怖いくらいに鼓動が速まり、全身の血液が滝のようにどっと流れ出して巡り出す。
「放して、下さい」
「いいよ、じゃあ少し俺に付き合って」
「え……」
 依緒が顔を上げた瞬間、それがキスの瞬間だった。唇が触れると共に教室のドアに背中が当たった。ガタンと響く大げさな音に心臓が跳ね上がる。誰かいるかもしれない。そんな不安が脳裏を掠めたが、触れ合う時間が長いほど徐々に薄れていった。
 キスをして、離れて、またキスをして。依緒の反応を試しながら、深くなり、エスカレートしていく。窓から入り込む風さえ暑く感じた。自分の体が溶け出して違う物質に変化してしまうような感覚に襲われる。
 キスを繰り返していくうちに、どちらともなくずるずると床に崩れ落ちた。それでもまだキスはやまない。暑さに増して、息がつまりそうになる。声が漏れ、呼吸が乱れる。さっきまで飲んでいたポカリスエットの口に残るような甘い味も消えてしまった。
 セミの声が耳を掠める。雨はまだ降っているのだろうか。休憩時間はそろそろ終わりのはずだ。しかし、周りの世界の何もかもが霞んで遠のいていく。依緒が身じろぐたび、ドアが揺れた。自分は今、何をしているのか。こうなることを、一体誰が予想できただろう。全てが打ち消されてしまうような、侵食されるキス。夏の終わりは、関係の始まりになった。

 最初は、キスを奪った陽介をひどい人だと思い、大嫌いだとたしなめたが、彼の持つ良さを少しでも見てしまうと、あとは全てがどうでもよくなってしまった。あまりデートに行けないのは、入院している父親の看病とアルバイトで忙しいから。ひそかに勉強を頑張っているのは奨学金のため。依緒は、文句を言いながらも勉強を教えてくれる陽介が好きだった。隣を歩けばさりげなく歩調を合わせてくれ、悩んでいれば厳しくも優しい言葉をくれる。そうやって一つずつ陽介を知るたびに、ずるずると引き込まれていった。引き戻すタイミングが分からなくなるほどに溺れた。

 けれど、そんな関係も、春の始まりに終わりを告げた。
 修羅場を見たのが偶然なら、反対のことを見るのも運命だったのかもしれない。桜がほころびる頃。甘い香りが漂ってきそうな、陽射しの柔らかい放課後の教室で、陽介は、あのクラスメイトとキスをしていた。







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