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「でも……」
 やっぱり無理だよ、と依緒が言いかけたが、和泉の一言目のセリフに打ち消された。
「美琴、俺……」
 依緒は目を見開いた。和泉の声が先ほどまでとは変わっていた。深く沈んで、その切なさが表情に押し出されている。切り替えの良さに依緒は息を呑んだ。本当にプロなのだと確信する。依緒は慌てて自分の担当である美琴のセリフを探した。ここはまだ読んでなかった部分で、建て前どころか本当に棒読みになってしまう。しかし、少しだけワクワクした。和泉が相手だと、自分までドラマに出るような気がしてくすぐったい気持ちがする。依緒はぎこちない口調で書かれているセリフを言った。
「どうしたの? 晴樹」
 とりあえずセリフは言ってみたものの、棒読みが露になって恥ずかしい。一応ここでは美琴は無邪気に問いかけるようだが、依緒がやると、まるで感情の壊れたロボットが言っているみたいだ。
 不安になって、台本の陰から和泉を見ると、その瞬間、依緒は心臓が跳ね返るのを感じた。和泉の顔が、もはや和泉ではなかった。じっと見つめる目は、紛れもなく晴樹。そして、その真っ直ぐで苦しげな瞳は依緒ではなく美琴を見ている。今にも溢れ出てしまいそうな想いを必死に押し止めて、曖昧に開かれた唇を噛み締めて。今、依緒の目の前にいるのは、義姉に恋する弟だった。

「俺、もう限界なんだ」
「え、何が?」
 依緒は戸惑いながらも美琴のセリフを必死で言った。台本を見るために一瞬目を逸らす、その時間だけ妙に安心する。セリフを言おうと再び顔を上げるともう、和泉の演じる晴樹に心を掴まれてしまうのだ。
「あんたが欲しくてたまらない」
「あ……」
 依緒はきゅうと心臓が縮むような息苦しさを感じた。心を掴まれて強く握り締められる。視線がどこにも逸らせない。台本にも、床にも、窓のカーテンにも……。演技だと、忘れてしまう。
「あいつがあんたに触れるのも、話すのも許せない。俺だけものにしたいんだ。俺をちゃんと見て、弟じゃなく、男として」
 あいつ、と聞いて依緒の頭に浮かんだのはなぜか陽介だった。そう思ったら、晴樹の言葉が和泉と交錯して、自分と美琴が交錯して。依緒は何も言えずに和泉を見上げていた。
 和泉が椅子から立ち上がる。ベッドに乗って、依緒のいる壁際まで来ると、両手を壁について依緒を囲った。ふわりと香る石鹸の匂い。それに、依緒が愛用しているフローラル系のシャンプーの香りが混ざる。

「ちょ、ちょっと」
 依緒はもはや気丈に耐えていることができず顔を逸らした。それが美琴としての反応なのか、それとも自分なのか分からない。ただ、どうしようもなく戸惑って、恥ずかしくて、顔を見ていられなかった。すると、和泉は首筋に唇を寄せた。さすがに驚いて手から台本を落とすと、和泉の胸を手で押し返そうとしたが少しも効かない。
「やだ、和泉、嘘でしょ、こんな」
「美琴」
 和泉はまだ晴樹になっていた。しかし、依緒はもう美琴ではいられない。台本も読めず、続きがどうなっているのかも分からなかった。和泉は無言のまま顔を上げると、そのまま依緒の唇を塞いだ。思わず声が漏れる。押し返そうとする力はやはり効かず、後ろは壁で退くこともできない。
 堅く閉ざす唇は優しいノックにゆっくりとほぐされ、少しずつ緩んで、そして侵入者を受け入れる。演技なのか、違うのか、判断する思考さえ吹っ飛んでしまう。必死で意識を保とうと和泉のシャツを強く握った。お風呂に入ったからか、和泉の体が熱い。それに感化されるように依緒もまた、自分の体温が上昇していくのを感じた。

 和泉のひんやりと濡れた髪が頬に当たる。
「ねえ、さっきまで誰のこと、考えてた?」
 キスをする合間に和泉が問いかける。さっきとは、また声の調子が変わった気がした。切なげに掠れて、息づかいが混じる。互いの唇が唾液で濡れ、続きを求める心が逸った。
 依緒もまた、息をする合間からか細い声を漏らした。言葉なのか息遣いなのか定かではない、曖昧な声。
「ため息、ついてた理由」
 囁きと息遣いが交じった和泉の言葉に、遠い意識の海に埋もれそうになりながら、依緒はわずかな違和感を感じていた。和泉のセリフが、美琴にではなく自分に向かって聞こえてくる気がした。
 和泉の指がパジャマのボタンにかかった。キスしていて見えないぶん、肌が敏感に察知してしまう。指先はひやりとしているのに、それが熱くなっていく体には心地良かった。今はもう演技など忘れ、和泉とのキスに酔いしれた。どうして抵抗できないのか自分でも分からなかったが、体に力も入らず、口から漏れるため息にも似た甘く切ない声を抑えることができなかった。目を閉じて、唇から和泉の体温を感じていると頭の中がぼんやりと霞んでしまい、体の芯がほのかに痺れるような感覚に襲われて、ふわふわとした心もとなさが漂う。

「キスマークつけたやつのこと、まだ忘れられない?」
 依緒が驚いて小さく声を上げると和泉は封じるように唇を塞ぎ、キスを繰り返しながら依緒の首筋を指でなぞった。指先のひやりとした感覚が伝わって体が微かに震える。陽介に付けられたことを、和泉はいつ気付いていたのだろう。
「い……ずみ」
 依緒は必死に名前を呼んだ。名前を叫んでいないと、微かに掴んだ意識さえも手放して、口から違う声が漏れてしまう。その声を聞かれることが、依緒にはとても恥ずかしいことだった。
「依緒、下にいるよ、親」
 和泉が耳元で囁いて悪戯っぽく笑う。その空気が依緒の耳にかかって心を煽る。返事をしようと口を開くのに、思い通りの言葉が出ない。和泉の手が後ろに回り、裾から侵入した手が背中をなぞり、上がっていく。その感覚を地肌で感じながら、依緒は耐え切れずに声を漏らした。
「依緒、ヤバイって」
 和泉が手のひらで口を塞いだ。息苦しさが増す。和泉は背中に回っていたもう片方の手を前に戻してボタンを外し、依緒の白い胸元を開いていく。華奢な肩がむき出しになり、和泉はそのまま胸元に顔をうずめ唇でなぞった。依緒はコントロールのきかない自分の感情を持て余すばかりで、必死に繋ぎとめようと和泉の髪に指先を埋めた。

「俺、そろそろ自分の家、戻ってもいいってさ」
 ふと投げかけられた言葉に、依緒は思わず動きを止めた。言われた言葉の意味を、すぐには理解できなかった。聞き返す代わりに和泉を見つめる。
 現実に引き戻されたように甘美な潮が引いていく。和泉はゆっくりと顔を上げると真剣な表情で依緒を見つめ、口を開いた。
「どうする、依緒」
 依緒はまばたきさえできずにいた。和泉がいなくなる。
 受験まで、あと一週間の夜だった。







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