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「いらっしゃいませー」
 コンビニに入ると、若い男の店員が挨拶をした。店員は棚おろしの作業中で、入って来た依緒には目もくれず、妙に愛想が良い声だけが流れた。こんがりとあざ黒く焼けた彼の肌はコンビニ指定のエメラルドグリーンのエプロンとひどく不釣合いで、筋肉質な肉体は洋服の上からでも分かるほど盛り上がっている。まさに柔道やラグビーが似合いそうな雰囲気だ。年は大学生くらいだろうか。
 依緒は窓側にある雑誌コーナーに立つと、適当に雑誌を選んでめくった。外はふわふわとしたぼたん雪が、羽のような柔らかさで落ちてくる。知香の言っていた通り天気予報は大当たりで、下校する少し前から雪が降り出し、帰り道を歩いているうちにスカートから出た足が寒さでほんのり赤らんだ。凍りつく空気に耳が切られるような痛みを感じて、耐え切れずに近くのコンビニに非難したのだ。

 コンビニの中は、相変わらず依緒と店員の二人だけだった。依緒は首に巻いたマフラーの中に顎先を深くうずめながら雑誌を読み、ゆっくりと流れる時間を持て余していた。明後日の試験に備えて早く家に帰り勉強をしなければならないのだが、和泉のいない家に帰ると穴が開いたような寂しさが溢れてきて集中できそうにない。
 和泉はまた仕事で家にいない日々が続き、あの台詞の通り、もう帰ってこないような気がして家にいるのが少し怖かった。実際、その日が訪れるのもそう遠くはないのだが……。
 ファッション雑誌を見ているのにも飽きて次の本を探していると、和泉が表紙に映っている雑誌を見つけた。髪の色が明るい栗色からダークなブラウンに落とされていて、雰囲気がまた違う。吸い寄せられるように手に取ると、開いた2、3ページ目に和泉の特集が載っていた。

 >色々と恋の噂が多い和泉くんだけど、自分の恋の傾向とかは?
 >えー、俺、基本的に奥手なんですよ。好きな子にはなかなか告白できないですね。

 依緒は眉をしかめた。おいおい、誰が奥手だ。会った初日にキスしてきたくせに、と雑誌に向かって文句が絶えない。この会話に、一体何人の女の子が騙されているのだろうと思うと気が遠くなる。

 >そうなんだ。この間のドラマでは幼なじみを想う純粋な男の子の役だったよね。今回は、前回とはちょっと雰囲気の違う男の子を演じるみたいだけど、どうかな?
 >義姉に恋するってところが難しいですけど、主役の晴樹くんの複雑な想いとか切ない表情が観ている方にも伝わればいいなと思ってます。
 >確かに難しい役どころだね。相手の美琴役は人気若手女優の相良レイさんだけど、もう二回目の共演だから彼女との掛け合いはバッチリ?
 >はい、相良さんは演技がすごく上手いので、足引っ張らないように精一杯頑張ってます。

 依緒はまた首を傾げた。相手役の人はあまり演技が上手くないと和泉が言っていたのを思い出した。

 >恋愛シーンを演じる時は、自分の体験とか入ったりするのかな?
 >体験ですか?(笑) まあ、そうですね。
 >和泉くんに好かれる女の子は羨ましいね。
 >そうですか? 俺、普通に殴られますよ。
 >そうなの?
 >はい。けど、気の強いトコとか可愛いと思いますけどね。
 >そうかー、明日から気の強そうな女の子が街に増えそうだなあ(笑)。では最後に、今回の映画の見所は?
 >やっぱり、晴樹が美琴に自分の想いを打ち明けるトコですかね。ずっと溜めていたものをぶちまけるトコなので、俺も勢いのある演技ができたらいいなーと。まあ、勢いあり過ぎて、美琴に色々しちゃうんですけど(笑)。
 >ははは、そのシーンを見るのが楽しみだね。和泉くんの演技、期待してるよ。
 >ありがとうございます。ファンの方の期待を裏切らない良い映画だと思うので、皆さん、ぜひ観に来て下さい。

「殴るって、私のこと、じゃないよね。まさか、ハハ……」
 依緒は苦笑いを浮かべた。普段の和泉の言動を考えると、雑誌の内容はどうもうそ臭いものばかりだが、ファンが抱くイメージ像を崩さないように多少は脚色されるものなのだろう。それに、散々騒がれた相良レイとの関係についても触れていない。
 ひと通り読み終えて顔を上げると、雪は先程よりもぼってり重みを含んで、甘い綿菓子がふわふわと漂っているようだった。

「へえ、社和泉ね」
 ふいに背後から聞こえた声に、依緒は驚いて振り向いた。
「あっ」
「お前、何してんの。暇つぶし?」
 陽介はカバンを背負って依緒の後ろに立っていた。覗き込む顔が近い。傘を忘れたのか、陽介の髪や肩などにはキラキラと雪のかけらが光っていた。
 陽介は依緒の隣に立つと雑誌を取って興味なさそうにパラパラとめくった。依緒はそっと辺りを窺ったが相変わらず店に客はおらず、先ほど棚おろしをしていた店員も見当たらなくなっていた。奥に入ってしまったのだろうか。
 学校から少し離れた住宅地の一角にある小さなコンビニエンスストア。暖房でぬるい空気が漂ったこの小さな空間は、陽介が隣りに来た途端、さらに小さな部屋に押し込められたような感覚に襲われ、吸い込む空気が先程よりも薄く息苦しいものになった。
「依緒さ、俺より、和泉の方がいいんだって?」
 陽介は雑誌から目を逸らさずにそう言うと、ゆっくりと依緒の方に顔を向け、見透かしたような笑いを浮かべた。まるで答えを知っているような口ぶり。
 思わず目を逸らして外を見ると、降った雪がコンクリートの上にうっすらと積もり始めていた。雨のように濡れたりはしないのに、なぜか外に出ることがためらわれた。もう少しだけここに居たい。以前のように、陽介からひたすら逃げるような気持ちは、不思議と今は薄れていた。
「聞こえ、たの」
「つーか、声大きいんだよ」
 依緒が気まずい顔をして上目遣いに見上げると、陽介と目が合った。そのまま見つめ合っていると、少しずつ距離が縮まっていく気がして、そっと陽介の唇が触れた。

 依緒は思わず顔を離すと俯いた。本棚に返そうとした雑誌を胸の前で抱き締める。忘れようと思うのに、どうしてこうも受け入れてしまうのだろう。触れるたびに、陽介への想いの深さを突き付けられる。今も唇が軽く触れただけで、その先の深いキスも温もりも簡単に蘇ってしまうのだ。

「去年の雪の日、覚えてるか」
 陽介は窓の外を見つめながら、ぼんやりと呟いた。
「お前、今日みたいにここにいて、俺のこと……待ってたんだよな」
 依緒はゆっくりと視線を上げると、同じように外の景色を眺めた。忘れるわけがない。寒い冬、二人寄り添って、互いの体温を肌で感じて。一番幸せだと思えたあの頃。陽介を誰より一番近くに感じることができた季節。
 静かな空気が二人の間を流れ、依緒は時が止まったように降り続ける雪を眺めていた。
 ふいに指先の温もりを感じた。陽介の指が依緒の指に優しく触れ、指の間の一つ一つをゆっくりとほぐし、滑るように絡ませ重なる。指と指がキスしているような、柔らかい仕草。心地よい温度。大好きな手は少しも変わっていないことが切なくて、依緒はそっと喉の奥に力を込めた。どうして人の関係は、季節が巡るうちにこうも変わってしまって、うまくいかないのだろう。去年の冬、今の二人の状態を誰が予測できただろう。

「あの頃には、戻れないのか……」
 陽介は静かに言葉をつむいで、絡めた指をそっと握った。依緒は何も答えられなかった。体のピースは変わらない。こんなにも違和感なく重なってしまう。それなのに、心のピースだけは、なぜか確実に形を変えてしまっている気がした。







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