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「もしもし、依緒?」
 依緒は思わず息を止めた。耳に流れてきた声に、うまく返事を返すことができなかい。口をうっすらと開いても、肝心の声が喉の奥に引っかかってしまう。それどころか、目頭が熱くなってきて、胸が苦しくなった。
「あれ、もしもーし。ちゃんと繋がってんの、これ。電波悪い?」
 和泉のあっけらかんとした声に、依緒はますます苦しくなった。声を聴くたびに心臓が絞られて、返事よりも挨拶よりも「会いたい」の一言だけが胸いっぱいに広がった。
 依緒はその言葉を何とか呑み込むと、通話口に向かって言った。
「ちゃんと、聞こえてるよ、和泉」
 依緒は声の震えが伝わらないように言ったつもりだったが、かえって弱々しくなってしまった。変に思われてないだろうかと心配したが、和泉は相変わらずすっきりとした声の調子で答えた。
「今日試験なんだって? 頑張れよ。大丈夫、依緒は受かるから。周りはみーんなジャガイモだって」
「ジャガイモ?」
「オーディションの時の自己流の自信の付け方だよ。結構効くんだ、これが」
「それ、状況が違うでしょうが」
 依緒はそう言って小さく笑った。和泉に言われると、そんな気もしてくるから不思議だ。

「ああ、ついでに、もう一つ」
「何?」
「答えが分からなくなったらさ、俺の名前書けよ。絶対満点だから」
「バカ。死んでも書かないから」
 依緒が笑うと、和泉も電話口の向こうで笑った。和泉の声に、心の不安が全て吸い取られていくようで、できればこのままずっと話していたいと思った。話して、笑って、そして会いたい。アイドルが心の支えなんて女の子がよくいるが、その子の気持ちがよく分かる気がした。思い出にするなんて言ったのは誰だ、と先ほどの自分に苦笑する。
「まだ暫く帰れないけどさ、応援してるから」
「ありがとう」
 依緒が返事をすると、電話の向こうで「和泉くーん」と呼ぶ若い男の声が聞こえた。休憩時間が終わりなのだろう。
「あ、ごめん、依緒。仕事だから、じゃあ、また」
「そう、和泉も頑張って」
「ああ、まあ、俺は頑張らなくても才能あるからね」
「はあ? 煩悩ぼんのうの間違いじゃないの」
 依緒が皮肉を込めて言うと、和泉は「まあね。特にアッチの」と下ネタを匂わせて笑い、「じゃあ」と言って電話を切る気配がした。

 耳に電子音が残る。
 依緒は耳に携帯を当てたまま、口元に手のひらを当てた。何なのだ、これは、と自分自身に問いかける。顔がにやついて、心がふわりと持ち上がる心地がする。さっきまであんなに心を苦しめていた不安は、自分に向けられたたった数分の会話で全て消えてしまった。そんな自分のいいかげんさに依緒は苦笑した。
 相変わらず英単語を見ても集中できないが、その心持ちは先ほどとは正反対だった。
「ジャガイモ、ね」
 依緒は人知れず小さく笑うと、空を見上げた。今なら全てが上手くいくような気がする。頑張るよ、和泉、と依緒は先ほどの看板に向かってそっと心の中で呟いた。
 腕の中にいる女の人のことが、先ほどに比べてあまり気にならなくなっていた。

「受験会場はこちらでーす」
 校門の前で、クリーム色のメガホンを片手に叫ぶM大学の職員の姿が目に入った。その掛け声に促されて、頭の良さそうな男女が次々と校舎の中に入っていく。その人数の多さにはさすがに圧倒された。しかも、有名な進学校の制服がまばらに見える。
「うわ、さすが人気のM大」
 思わず呟きが漏れる。全く受かる気がしないと思う一方で、和泉の言葉が何より依緒の心に響いていた。

『大丈夫、依緒は受かるから』

「よし」
 依緒は気合を入れて意気込むと、門に向かって歩き出した。
 2653番。深山依緒。
 堅い紙に書かれた、白い受験票を握り締めて。







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