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内緒の関係
【secret.15 デジャ・ヴ】




「依緒、こっちこっち」
 駅の切符売り場の前で、知香が右手を振り上げる。知香は、紺に近い色をしたジーンズのミニスカートに、V字に切り込んだオレンジ色のセーターを着て、淡いベージュのマフラーを巻き、同色のニットの帽子を被っている。カジュアルで軽快な知香らしい服装だ。依緒はその姿を目にすると笑顔で歩み寄り、お早うと挨拶をした。
 平日の午後一時を過ぎたこの時間は、駅前の人通りもまばらかと思いきや、子連れの若い女の人や大学生らしき男女のグループ、外回りのサラリーマンなど多くの人が行き交っており、人込みの中から知香を見つけることに苦労していたので、知香から声をかけてきたことに依緒はほっと胸を撫で下ろした。

「依緒、久しぶり!」
 知香は依緒の肩を軽いタッチで叩くと、行こうと言って歩く方向に体を向け、促す。依緒も頷き、二人横に並んで駅から歩き出した。
 駅前のデパートの横を抜け、デニーズ、花屋、マクドナルド、映画館の前を通り、そしてセブンイレブンの角を曲がると、少し風景はおとなしくなって住宅街の細い道へと入っていく。ここは、依緒の住んでいる場所から二駅ほど離れた所にあり、知香が住んでいる街の駅だった。知香は両親が海外に赴任しているため、祖父母の家で暮らしていて、依緒も何度か遊びに来たことはあったが、やはり住み慣れていない土地を歩く時は、微かに冒険心が疼いて心がドキドキする。しかも、今日は知香の家に来たのではなく、知香の家がある方面とは反対にある駅の出口から出てきたので、全く歩いたことのない場所だった。

 歩いても5分か10分くらいだから、と知香が横を向き目的の場所について話す。依緒も笑顔で答え、次第に話題が受験のこと、学校のこと、日常の他愛もないことへと広がっていった。入試が始まると学校には皆行かなくなるので、知香と会うのも久しぶりで会話にも心が弾む。ぴりぴりとした緊張感に包まれ続けていたせいもあり、久々の息抜きになりそうだった。
 それというのも、昨日、知香から携帯電話にメールが入り、気晴らしに少し出かけようと誘われたのだった。受験シーズン真っ最中とはいえ、依緒は一応試験の方は全て受け終わり、あとは合否を順番に待つのみだったので、家でじっとしていても煮詰まってしまうだけだと思い、即決で返事をした。もう足掻いても後悔しても仕方が無いので、諦めの気持ちにも似た心境かもしれない。

 知香は一足先に志望校の合格がもらえたようで、嬉々とした表情で笑っていた。瞳に曇りが無く、春から始まる近い未来にすでに目を向けている様に見える。それでも、滑り止めにしていた大学の方が落ちてしまったらしく、受験は運だよね、などと言って渋い表情を浮かべていた。確かに、運というのはあるだろうと依緒は思った。それに、もう一つは縁だ。どうか、M大に縁がありますように、と祈る気持ちで毎日過ごす。刻々と合格発表の日が迫るほど、その気持ちは強くなった。

「あのね、本当に素敵なのよ! お店もだけど、そこのマスターがね」
「へえー、辛口の知香がそこまで言うなんてね」
「見た目はすっごい渋いの。でも、話すと面白い人なんだよ」
 知香ってオヤジ趣味だったかな、と疑問を深めつつ、依緒は唸った表情でその素敵なマスターとやらを想像してみた。知香の話によると、入試期間の最中に気晴らしがしたくなり、思いがけず寄った喫茶店があったのだが、一度目で、そのお店の雰囲気とマスターの人柄に魅入ってしまったそうだ。ただ、雰囲気が少し大人向けの落ち着いた店らしく一人で入るには気が引けることと、お客が多くはないので、友達を連れてまた来ると言ったことが、今日依緒を誘った経緯らしい。
 今日で行くのは三回目なんだ、と知香は楽しそうに笑って言った。

「ファーストフードなら良く行くけど、本格的な喫茶店なんて、一人で行くと余計緊張するよね」
「うん。だから、依緒が一緒に来てくれてホント嬉しいよ。毎日でも行きたいくらいなの、でもまだそんなに仲良くないから気が引けて」
「相当、気に入ったんだねー」
「まあねー。あ、それと、すっごいカッコイイ男の子がバイトしてるんだって」
「へ、へえ……そうなんだ」
 知香が妙に張り切った声を上げたので、勢いに押され、依緒は言葉少なに返事をした。
「マスターが言ってたの。そのバイトくん目当てに女の人が多く来るって。私が言った時は事情があって休んでたみたいだけど、今日は、もしかしたらいるかもよ!」
「そ、そう。何でそんな、私に向かって意気込んで言うの」
「だって依緒、面食いじゃん」
「はっ!?」
 覚えの無い言われように、依緒は目を丸くした。男の子の顔の事で騒いだ覚えはあまりないような気がしたので、知香がなぜそう言うのか理由が全く思い当たらない。
「ほら、前に和泉が好きって言ってたから」
「あ、ああ、あれね……」
 妙に納得してしまい、依緒は苦笑いをして歯切れ悪く言葉を濁すと、視線を横へ逸らした。勢いで言った言葉がここまで尾を引くことになるなど考えもせず、弁解の余地もなかった。しかし考えてみれば、陽介を好きになったことを踏まえてみると、実は面食いなのだろうかと唸ってしまう。

「あ、もうすぐだよ。そこの角を曲がるとすぐだから」
 知香が指を差したので、依緒もつられて顔を上げた。しかし、それも束の間、目に飛び込んできた風景に依緒は自然と足を止めた。
 どこかで見たような風景に思えた。よくある住宅街なのだが、赤茶色の屋根や深い青をした公園の池、白い壁と茶色いレンガのアパート、薔薇のアーチに彩られた玄関がある家のどれもが、淡い記憶の奥で蜃気楼のようにぼんやりと佇んでいる気がした。
 先ほどまで全く知らなかったはずの街は、ここへ来て妙に親近感が湧いてしまい、依緒は戸惑った。思わず足を止めたせいで、知香が不思議そうな面持ちで様子を窺っている。
 こうゆうのを、デジャ・ヴ《既視体験》というのだろうか。一度も来たことが無いはずなのに、随分前からここを知っている気がする。
「どうかした?」
「え、うん……。何か、ここ、知ってるような気がして」
「そう? まあ、学校からそう遠くもないし、来ていても不思議じゃないでしょ」
「そっか……、そうだね」
 立ち止まっているのも悪いと思い、依緒はゆっくりと歩き出したが、おかしな感覚は消えてくれない。釈然としない思いを抱えたまま、やがて行き着いた喫茶店を前にして、依緒は呆然と立ちすくんだ。

「ね、ここだよ、素敵でしょ。入ろう」
 知香が木の扉に手をかけて、依緒を呼ぶ。しかし、依緒はとても入る気にはなれなかった。全体がログハウスのような造りで、こげ茶色の深い雰囲気を醸し出す木目調の喫茶店の入り口には、『CLOVER』と書かれた木の板が上に取り付けられている。香り高いコーヒーの匂いが漂ってきそうなクラシックな雰囲気は、知香の話していた通り、少し大人の雰囲気を感じさせる。窓ガラスは不透明な濃い茶色をしていて外からは中の様子が見えず、入りにくいといえばそうかもしれない。
 デジャ・ヴなんかじゃなかった。ずっと前から、知っている。一時期、毎日のように訪れていた。自転車に乗り、全く違う道から来ていたからだろう、目の前に来るまで全く分からなかったはずだ。コーヒーの香りに交じって依緒の中に溶けている、甘い思い出と苦い思い出が流れる場所。
「誰が……ここで働いてるって……」
「依緒?」
「知香、やっぱり私……」
 帰る、そう言いかけた時だった。知香の手で微かに開いていた扉が開き、カランカランと鈴の音が鳴った。そして、中から微かなクラシックの音と共に現れたのは、依緒の良く知る人物だった。

「いらっしゃいませ」
 深みのある静かな声が、ゆっくりと流れる。その落ち着いた雰囲気が、お店の雰囲気とも調和しているかに見えたが、この今の状況は、決して穏やかとは言いがたかった。
「げっ、何で」
 知香は踏み潰されたような声を上げると苦い顔を浮かべ、よほど驚いたのか言葉を失っている。しかし、それは依緒も同じだった。何の巡りあわせだろうか。それこそ、皮肉にも縁というものなのか。依緒は苦笑いさえ浮かべる余裕もなく、ただ立ち尽くす。
 先ほどの知香の話から、もっと想像していれば良かったと後悔する。落ち着いた雰囲気の店。渋い顔だけど、面白いマスター。カッコイイと噂のバイトの男の子……。

「陽介……」







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