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「梨枝子は押しに弱いからなあ〜。いい、ちゃんと避妊だけは……」
「おっそいよ、依緒」
 背後から嫌な声が聞こえた。聞き覚えのあるその声に依緒はギクリとしたが、寸前で後を振り向くのをためらった。どうか、どうか幻聴でありますように。心の中で必死にナムナムと祈ってはみたが、もはや逃れられない運命なのだろう。恐る恐る振り返ると、深く帽子を被った悪魔が口元をニヤリと歪めて立っていた。
「依緒、彼氏?」
 梨枝子が目を丸くして和泉の顔を覗こうとする。依緒は慌てて2人の間をさえぎった。
「ち、ちがっ」
「実はそうなんですよねえ」
 しれっとした声で和泉がにこりと笑う。依緒は血相を変えて振り返った。
「な、何をバカなこと言ってんのよ」
 声を荒立てて抗議をすると、和泉は面食らったように一瞬で表情を落とした。なぜか切なそうに眉をひそめて依緒をじっと見つめている。
「依緒は、俺のことあんなに好きって言ってくれたのに?」
 はい? と思わず声が出そうになった。何が起きたんだ、と開いた口が塞がらず固まっている依緒に対し、和泉は尚も言葉を続ける。
「それとも、俺のこと好き過ぎておかしくなりそうって言ったのは嘘だった? 俺、かなり嬉しかったんだけど」
 依緒はもはや言葉もなく眉をひそめ、いっそう顔を険しくさせた。和泉は何を言っているのだろう。一体いつ、誰がそんなことを言ったのか、和泉の考えている事が全く理解できなかった。
「い、和泉?」
 戸惑いながら、俯いた和泉の顔をさりげなく覗くと、帽子の陰から嫌味に笑う口元が見えた。こ、こいつ、演技か!! と依緒の脳裏を電流のような衝撃が走る。
「あ、デートだったんだね。ごめんね依緒、呼び止めたりして」
 ちょっと待って梨枝子! 薬局の袋下げてデートなんかしないから! と、依緒が抗議の声を上げようとする隙もなく和泉が言葉を続ける。
「梨枝子さんも、彼氏サンに会いに行くんでしょ? きっと待ってると思うよ」
 そう言って、何事もないかのように依緒を後から抱きしめた。ぎょっとして、その手を振り払おうと思うのに、心臓ばかりが激しく騒いで体が少しも動かない。今、自分がどうやって立っているのかさえ分からないほど、全ての思考が麻痺していた。命が削られているのではないかと思うほどの緊張が依緒の全身を巡っている。
 遠のいていく五感の中でもはっきりと感じるのは、背中から両腕にかけて伝わる和泉の温もりだけだった。
「う、うん。じゃあ行くね。邪魔しちゃってごめんね、依緒。それじゃあ、また学校で……」
 梨枝子は顔を赤く染めて和泉に軽く会釈すると、駅の通りへと小走りに駆けて行った。スカートの裾が小刻みに揺れている。梨枝子の姿が人込みに紛れて見えなくなるまで、依緒は呆然と立ち尽くしていた。

「可愛いねえ、梨枝子さん。依緒とは大違い」
 バカにしたような和泉の笑いに、我に返った依緒は思いきり和泉の両腕を振り払った。振り向いて口をへの字に引き結び、睨みつける。
「ちょっと、どーゆうつもり。完璧、誤解されちゃったじゃない」
「え、だってホントのことじゃん。依緒、俺のこと好きだろ」
 当たり前の言葉を返してくる和泉に、依緒は思わず言葉を飲み込んだ。今、和泉が何を言ったのか、聞き間違いではないかと、もう一度頭の中で考えてみる。その間も、和泉は少しも崩れない余裕の表情で笑っている。
「依緒は素直じゃないからねえ。ま、そこが可愛いんだけど」
「だから! 和泉の事なんか好きじゃない。むしろ嫌い! 性格悪過ぎ」
 依緒がいくら向きになって言っても、和泉は「はいはい」と呆れた返事をして流してしまう。その態度が、ますます依緒の怒りを増長させた。
「だいたいあなた芸能人じゃない。そんな全然別の世界の人なんてっ……」
 長い文句の数々は、途中で切られてしまった。何が起きたのか、依緒は分からずに固まった。まだまだ言いたい文句があったのに、ふいに和泉の顔が目の前に迫ってきたと思ったら、何も言えなくなっていた。浅いキスは、依緒から言葉を奪う、和泉の常套じょうとう手段だ。それが二度目のキスであることに気付いたのは、口内に生温かいものが入ってきた瞬間だった。

「……はい、罰ゲーム。俺のこと、名前で呼ばなかったよね」
 唇が離れると、例の意地悪な顔が依緒の目の前に浮かんだ。キスをしても、和泉は少しも顔色を変えない。キスの仕方はいつだって手馴れていて歯向かう隙を依緒に与えてはくれない。
 頭の中で、罰ゲームという言葉がさ迷う。真っ白に霞む思考の奥で、家を出る前の和泉の言葉がふと蘇ってきた。
『今度俺のこと名前で呼ばなかったら、ヤっちゃうよ?』
 和泉は確かにそう言っていた。依緒の頭から、血の気が引いていく。社和泉が超危険人物だという事を、再び、身に沁みて痛感することとなってしまった。







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