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内緒の関係
【secret.5 傷】




 ここは人の行き交う往来で、沢山の人目があって。しかもキスのお相手は、超お騒がせ人気アイドル、社和泉。
 次の瞬間、依緒は何も言わずに和泉の手を強く掴むと、建物の隙間に引っ張り込んだ。顔だけ覗かせて一通り辺りを確認してから、和泉の方に向き直ったかと思うと、和泉の頬めがけて素早く手を上げた。
 パチンという乾いた音が小さく響いた。
「何考えてるの! あなたっ……和泉は、芸能人なんだよ」
 またもや不意打ちされたキスへの怒りと、何も考えていない和泉の行動に、依緒はついに堪忍袋の緒が切れた。スキャンダルに迷惑をして家に来たはずの和泉は、また問題を起こそうとしている。もしかしたら、相良レイとのことも本当なのかもしれないと依緒は思った。冗談で手を出したところをマスコミに見られた、というシチュエーションが容易に思い描ける。
 和泉はふいと顔を背けて、気だるそうに目を細めた。
「別に、変装してんだし、いいじゃん」
「変装してたって、輪郭とかで分かっちゃうもんだよ。私、前に渋谷で芸能人見たことあるけど、隠してもバレるものなの! オーラが違うの」
 言っていることに嘘はなかった。依緒は、以前、渋谷で雑誌の人気モデルを見かけたことを思い出した。あまりの細さとスタイルのよさ、そして人形のような可愛さに度肝を抜かれた。帽子で顔を隠していようが、目立たない洋服に身を包んでいようが、全身から溢れる魅力は隠しきれない。そんな女の子に、和泉は毎日囲まれて仕事をしている。当たり前のことなのに、考えるたび、依緒の心に暗い雲が立ち込める。和泉に近づくほど、自分を卑下ひげしてしまう。そんな自分に嫌気が差すのに、理由も分からず、どうにもできないのだ。

 いつの間にか、怒りの声は頼りなく震え出していた。
「しかも私のこと。好きでもないのに……簡単にキスなんかしないで」
 吐き出した言葉と同時に頬に雫が伝い、手で拭えば、自分の顔がぐしゃぐしゃに濡れていることが分かった。泣いているという自分の不甲斐なさに、依緒は悔しくてさらに涙が溢れた。和泉が自分のことを好きじゃないのは分かっている。可愛い子が周りに何人もいて、それに比べ、何もかもが普通な自分は恋の対象にもならない。可愛くなろうとしても、一足飛びに可愛さは手に入らない。美容にかけるお金も限られている。
 それでも、どんどん和泉に惹き込まれている自分がいて、彼にとっては遊びのキスも舞い上がってしまう。触れるような浅いキスには恥ずかしさが込み上げて、絡める深いキスは心を吸い取られていく心もとなさと、このまま全てを支配されたいという思いに心を惑わせる。
 和泉のことを好きなのだろうかと、そう考えるたび、和泉との距離を見せつけられて苦しくなった。織姫と彦星は天の川を隔てても、年に一回は会う事が出来る。けれど、和泉と依緒の間には、泳いでももがいても決して渡ることができない深い崖があった。偶然、嵐で丸太が倒れ、それを使って辛うじて会う事が出来たとしても、丸太が折れたらもう二度と、会う事も話す事も叶わない。
 好きだなんて言葉は絶対に言えない。だから気安くキスなどして欲しくなかった。膨らんだ想いが受け取ってもらえないものだと知った時、一気に破裂して傷つく痛みを依緒はすでに知っていた。もうあの時のような思いは二度としたくない。そこまで思い出して、斬られるような胸の痛みに依緒は顔をさらに歪めた。

「私だって、好きじゃ……ない、んだから」
 泣くなどと予定外のことが起きて、もうどうしたら良いのか分からない。ただ、こんなにも弱々しい泣き顔を和泉に見られることが悔しくて恥ずかしく、手で顔を隠してうつむいていると、ふいに背中に手が回される感覚がしてそのまま胸に抱き寄せられた。洋服から香水のような匂いが微かにする。爽やかな香りにどこか甘ったるさが漂い、依緒の心を不思議と落ち着かせていく。すると、頭上で和泉が深く息をつく音が聞こえた。
「依緒は、ホント素直じゃないよね」
「バカにしないでよ」
「してないよ。依緒のそーゆーとこ好きだし」
「嘘つき」
「嘘じゃないって。俺、どーでもいい女にキスしないし」
「やっ……」
 突然、依緒は和泉の胸を押し退けた。和泉は驚いた表情で依緒を見つめる。依緒は唇を噛み締めた。聞きたくない。その言葉を聞きたくなかった。忘れていたはずの想いが、心の奥から漏れ出してくる。和泉の言葉が頭の中で何度もリフレインして、そして、誰かの声と重なった。

『嘘じゃないって。俺、何とも思ってないやつにキスなんてしない』
『深山のこと、好きだから……』







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