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内緒の関係
【secret.6 Back to back】




 囁く言葉は信用できない。気持ちは心と態度で伝えて欲しい。
 好きなんて言葉はもう信用しない。甘い言葉に惑わされて、浮かされて、手痛い裏切りを受ける事になる。舞い上がった気持ちは行き場もなく、キスした感触が消えてくれない、思い出が忘れられない。囁く声が耳に貼り付いて、舐められるような感覚がじわじわと体を溶かしていく。思い出すたび抑えられない疼きとなって、依緒の体をぐらぐらと揺らすのだ。
 傷つけられた心を守る方法は一つだった。彼を、日暮ひぐらし陽介ようすけを、心から消すしかなかった。
 無視することは簡単だった。口も聞かず、徹底して目を逸らせばいい。気にも留めない素振りを見せて、大丈夫だと強がってみせる。背筋を伸ばして毅然とし、友人と何食わぬ顔で談笑する。演技なんて簡単だった。
 それでも、どうしてか心だけは、一向に逸れてはくれないのだ。見えない所で、気付けば目で追いかけている自分がいる。すれ違う度に心臓が飛び出そうになる。でも、そんな気持ちを悟られたくなくて、認めたくない一心でまた演技をする。いつか空気のように感じられる時がくる事を願っても、まだスタートさえ踏み切っていないような心もとなさがぬぐえなかった。
 まるで透明人間のようにお互いをすり抜けていく。同じ教室、一列間を空けた隣の席。うっかり横を向けば無防備な寝顔を目の当たりにして、好きな気持ちが溢れてしまう。その声も、気持ちも、唇も、体も、全部自分のものになってしまったらどんなに……。
 そこまで考えて、依緒は思い直すように黒板に向き直るのが常だった。離れたいのに離れたくない。好きなのに大嫌い。矛盾した心が依緒を苦しめる。
 賞味期限切れの恋はもう戻らない。余った具材はごみ箱へ投げ込んで、見苦しい残骸を目の前から消去する。それでも捨て切れないものはどうしたら良いのだろう。捨てたつもりで冷凍庫の奥に隠しておく。もう二度と解凍しないように凍らせる。溶け出したら今度こそおしまいだ。誰にも気付かせてはいけない。宝もありかは、自分さえも忘れなくてはいけない。秘密を持つのは、甘くて切なくて……死ぬほど苦しい。

「依緒? おーい」
 知香の声にはっとして顔を上げると、前の席に座った知香が不満げな顔をして見ていた。依緒の目の前で手を振りながら、「大丈夫ー?」と言いたげな表情をしている。周りを窺えばいつの間にか休み時間で、さっきまで呪文のように小説を読んでいた現国の先生もいつのまにか消えていた。小説は確か森鴎外の『舞姫』だった気がするが記憶が定かでない。
 一通り辺りを見回して再び視線を前へ戻すと、こちらを見ているとばかり思っていた知香は、壁に寄り掛かって足を組み、雑誌を眺めていた。
「あ、それ」
 雑誌の表紙を見て、依緒は思わず声を上げた。表紙に映っているのは柔らかに笑う男の子。いつも見る顔がそこにあった。まさに、いつもしないような極上の笑顔を浮かべて……。
 知香は依緒の声に反応すると、見ているページをめくって表紙に目を遣った。
「ああ、今月の表紙は社和泉だっけ。新しいドラマの主役らしいよ、ほら」
 知香はパラパラとページをめくると、テレビ情報の載っているページを開いた。見開きの上部には、『大注目! 期待の新ドラマ!!』と見出しのロゴが大きく書き出されている。その下にはいくつかのドラマの写真とあらすじが載っていたが、依緒はすぐに、あるドラマが目についた。雨の中、濡れたまま抱き合う男女の写真が印象的だ。
「あんな噂立ってるのに、よくやるよねー。この相手役とも噂らしいし」
 知香が写真に載っている女の子を指差す。今時珍しい黒髪のストレートセミロングに、ニキビ一つない、透けるような白い肌。ゆで卵のような肌とは、きっとこんな肌を言うのだろうと依緒は思った。こんな女の子が目の前にいたら、きっと誰でも好きになってしまう。小さくて細くて、頼り無げに潤んだ大きな瞳が乞う様で愛らしい。一体今までどこにいたのだろうと思うほど、可愛い女の子というのは次から次へと出てくるものだ。

「白雪姫って、きっとこんな感じなんだろうなー」
 依緒がぽつりと言葉を漏らすと、知香は目を丸くして顔を上げた。
「は? 何、急に」
「うーん、だからね、魔女が嫉妬するくらい可愛いってこと。私、魔女の気持ちがすっごく分かる」
 例えばお遊戯で劇をするなら、自分は魔女役が適任のような気がした。主役になれない脇役。そしていつも羨望と嫉妬の入り混じった眼差しで主役を見つめている。出口から抜け出せないどころか、ぬかるんだ地面に足を取られて、泥と一緒に埋もれていくような嫌な感覚がいつだって頭の中にある。
「……バカね。可愛さってゆーのは、内面から出てくるのよ。いくら整っていたって、イライラしてたらそうゆう顔つきになっちゃうし。反対に、特別美人じゃなくても可愛い雰囲気の子っているでしょ。隠したって、心は滲み出てくるものだから。そうゆうの、人は結構見てるもんだと思うな」
「うん、まあ、言われてみればそうかも……」
「それにね、女なんて、みーんな魔女なんだから」
「え?」
「依緒には依緒らしさがあるじゃない。魔女であり、お姫様であり、ってことね」
 知香の言いたい事はやや伝わりにくいものがあったが、きっと知香なりに励ましてくれているのだろうと、それだけは何となく思えた。
「知香……」
「ん?」
「知香ってさ、黙ってれば姫だよね。しゃべると魔女だけど」
 依緒が何気なく言うと、知香が黙ったまま目を鋭くさせたので依緒は慌てて口をつぐんだ。言った事に嘘はないが、知香に睨まれると後が怖いので、余計な事は言わない方が利口だ。味方にすると心強いが、敵に回すと百倍怖い。
 知香は黙っていればレベルの高い容姿をした女の子で、中等部の頃から結構男子に告白されていることを依緒は知っていた。ややつり気味な目尻と口角の上がった薄い口元が小悪魔のように可愛らしく、小さい顔の中に形良くまとまっている。肩すれすれのボブショートは柔らかそうな毛質が上手く生かされていて、少し我儘そうな姫君といった雰囲気が男心をくすぐるらしい。しかし、話すと全くの姉御肌タイプで、その性格はテニス部のマネージャーとして大いに発揮されていた。男子テニス部の間では、梨枝子を“アメ”、知香を“ムチ”と陰で冗談交じりに言っている事を、依緒は前に後輩部員からこっそり教えてもらった。







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