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 依緒は苦笑いを浮かべながら、何とか話題を変えようと雑誌へと話を戻した。
「ドラマ、どうゆう話なの?」
「ああ、うーんとね」
 知香は気を取り直した様子で机の上に雑誌を置くと、人差し指で文章をなぞるようにして読み始めた。依緒も同じようにページをまじまじと覗き込んで文字を目で追う。
「高校生の、幼馴染の話だって。純愛? みたいな。お互い好きなんだけど、なかなか言えなくて、そのうち女の子が病気になっちゃうみたい」
 よくある話だよね、と知香が付け加えた。依緒はふと想像してみた。あの和泉が純愛ドラマとは、悪いがちょっと想像できない。しかし、もっと想像できないのはこの写真の人物が今、自分の家にいるということだ。
 知香が雑誌を手に取ったので、表紙が再び依緒の方に向けられた。知香が何食わぬ顔で別のページを読んでいる一方で、依緒は向けられた表紙をじっと見つめた。その笑顔は誰へのもの? と、そっと心の中で問いかけてみる。一緒に暮らしていても、いるのかいないのか、その存在は薄い。あのオフの日から、和泉を見ていない。
 夜、家に帰って玄関を開ける時。朝、リビングのドアを開ける時。胸に詰まるような期待は、その瞬間にしぼんでいく。携帯の番号さえ知らない自分が、何だかひどく惨めに思えた。一緒に住んでいても、言葉を交わしても、唇を合わせても、和泉の特別な存在には少しもなれていない気がして、どこか心がえていった。
 あの後、和泉は何も聞かなかった。涙の理由も、男のことも。それは依緒にとってありがたい事であったが、なぜか一抹いちまつの寂しさが胸をよぎった。そして、次の朝にはもう姿かたちさえなかった和泉の存在を思い、その寂しさはさらに膨らんだ。
 本当に、和泉は気まぐれな猫のようだ。何を考えているのかさっぱり分からない。敵なのか味方なのか、曖昧な態度はいつも依緒を戸惑わせる。気まぐれを本気に捉えて、振り回されて、取り返しのつかない後悔に泣くことになる、そんな恋はもうたくさんなのに、どうして毎回、こんな恋の仕方しかできないのだろうか。もっと普通に幸せになりたいのに、いつも同じパターンで深みにはまっていく。

「授業だぞー。席つけ、席」
 チャイムと同時に、クラス担任の日本史の先生が入って来た。皆、慌しく席に着く。知香も雑誌をお尻で隠すようにして席に戻り、依緒は教科書を出そうと机の中に手を入れた。
 ふと、水がはねる様な音がして外を見ると、細い糸のような雨が降り始めていた。細かに降り注ぐ雨のラインは、街の景色を霞ませていく。見上げると、空は真っ白に濁り、長く降り続きそうな雲行きだった。

「じゃあね、依緒」
 知香が手を振りながら廊下を走っていく。今日の部活は雨天で校内に変わり、その放送をかけに行くそうだ。依緒も手を振り応えながら、すぐ角を曲がって階段を降りた。階段は少し濡れていて、歩くたびに上履きがキュキュっと鳴る。ねずみが鳴くような音だが、あまり心地よくはない。依緒は転ばないように足元に注意を払ってゆっくり降りていた。
 今日は予備校がないから家で勉強しよう。おやつは途中のコンビニで調達し、温かい紅茶を入れて体を温める。そんなことを考えながら歩いていたせいもあって、前を見る事などしなかった。きっとそのまま考え続けていたなら、前からやってくる人物に気づく事もなかっただろう。それでもタイミングとは不思議なもので、依緒はふいに顔を上げてしまったのだ。そして、体を強張らせた。足が止まる。視線が外せない。依緒の瞳には、ただ一人、無表情な男の子が映る。
 少し大きめの上履きには、同じ学年であることを表すモスグリーンの靴ひもが結ばれている。依緒は顔を上げたことを心から後悔した。二人きりで会う事だけは避けたかったのに、運命とは皮肉なものだ。この階段を通らなければ良かったと後悔しても、もう過去は戻らない。

 体はまだ動かせそうになく、寒さに加えて、微かに指先が震えた。相手も微動だにせず、真っ直ぐに向けられた目が依緒を矢で射ているようだった。
 依緒は逃れるようにゆっくりと目を伏せると、力の抜けた足を前に出して踏みしめた。今はできるだけ早くこの場を立ち去る事が先決だった。時間が、自分の足取りが、テレビのスローモーションのように流れて重い。相手の横を通り過ぎる瞬間、体が痺れるような感覚が流れた。
 もう……大丈夫。そう自分に言い聞かせてほっと安心したのも束の間、それ以上先に進めない状態に寒気が走った。右の手首がしっかりと握られている。
「は、離して」
 喉が震えて上手く声が出なかった。自分でも情けないほど小さな叫び。振り返って言えないのは、今すぐ逃げ出したかったからだ。向き合ったら何も言えなくなってしまうのが怖かった。

「いつまで続ける気? 何で無視すんだよ」
「別に、無視なんかしてない。私たちはただのクラスメイトでしょ」
 依緒が少し強めの口調で言うと、相手はそれきり黙った。背中に感じる視線が痛い。掴まれたままの手首に力が加わった気がして、依緒の心が不安定に揺らいだ。断続的な雨の音が辺りを包み、人の気配を消している。

「間違いなんて思うなよ、俺としたこと」
 掴まれた腕が引き寄せられた。前に腕が回って、背後から包み込むように優しく抱きしめられる。依緒は返す言葉も失ってしまった。初めは何が起こったのかよく分からなかった。抱きしめられるなど、全く予想外のことだったからだ。
 隙間のない、合わさった体。背中に当たる温もり。肩にかかった重み。首筋に感じる吐息。くすぐる髪の毛。知っているシャンプーの香り。
 知りすぎた、男の子……。

「好きだ……依緒」







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