ひと学年には一人くらい、女のきれない男がいる。ある女と別れれば、それを待っていた別の女が告白する。そうやって、一種カリスマにも似た
まさに彼が、陽介がそうだった。陽介が教室に入って来ただけで、依緒は自分の視界が色づいていくのを感じた。授業中、つまらなそうに頬杖を付いている姿も。ワックスでセットされた髪に指を差し入れる仕草も。友達と話して笑っている顔も。全てに誘うような雰囲気があって、いつも目を奪われてしまう。
いつだって特定の誰かの所有物になることはない人だった。隣に居る女の子は変わっても、陽介はいつも通りの態度で新しい女の子に接していた。普通なら、新しい恋に踏み切るには時間がかかる。しかし、陽介は同じタイプのスペアを取り替えるように、少しの変化も戸惑いもない様子だった。きっと陽介にとって恋愛は遊びなのだろう。そう考えて、気持ちを持っていかれそうになる度に自分を何度も否定した。だけど、否定する度に一歩踏み出してしまったような気分になるのはなぜだろう。入り口はすぐ後ろにあるのに、顧みもせずに暗い洞窟の中へと足を伸ばしていく。
嫉妬に狂ったあんな惨めな自分に戻るくらいなら、いっそ離れた方がいい。あの時、死ぬ気で固めた意志は、こんな一言で脆くも崩れ去っていくのだろうか。依緒は陽介の温もりを感じながら胸が痛んだ。
「や……めて」
依緒は喉の奥から搾り出すように言葉を発した。辺りを見回す余裕もないが、人が通らないことが幸いだった。誰かに見られたらすぐに噂になってしまう。今も早足に刻んでいる心臓の音に気付かれたくなくて、依緒は回された腕を外そうと手を伸ばした。どんなに言葉で取り繕っても、心は嘘がつけない。
「本気で言ってんの?」
囁いた声が耳元で生温かくこもる。やや不機嫌なその声さえも、愛しいと感じてしまう自分は本当に重症だと思う。しかし、重症だとも感じていなかったあの頃の方がよほど……。
気持ちが戻ってしまいそうになるのを引き止めるように依緒は唇を引き結ぶと、喉の奥に力を込めてぎゅっと目を瞑った。
「離して、日暮くん」
「今さら苗字? それって俺に対する
「ちがっ……」
依緒が否定するよりも先に、彼の言葉によって打ち消された。
「なるほど……ね」
陽介は確認するようにゆっくりと言葉を紡ぐと、今度はそのまま依緒に真正面から近づいた。無言のまま、じりじりと間隔を詰めていく。依緒も間隔を保って後ずさりをしたが、とうとう壁に行き着いてしまった。ひんやりとした壁の冷たさが伝わって、ますます恐怖を煽る。何も言えぬ依緒に、陽介は口の端を上げて静かに笑った。
「あのさ」
妙に落ち着いているが、その声にははっきりと分かるほど楽しさが含まれていた。やばいと思ったがどうしようもできない。いつの間にか腕はしっかりと掴まれていた。
「この前の男、新しい彼氏、だっけ? あいつ、お前のどこまで知ってんの。もうヤった?」
嘲笑って見下ろす顔は、どこか冷たい影が隠れていた。口は笑っているのに、目は氷のような冷たさに満ちている。
「できるわけねえよな、依緒は」
言い聞かせるようにそう言うと、もう片方の手を自分の首元に遣って、ゆるりとネクタイを引き、
心臓は静まるどころか高鳴って、なぜか体がじわじわと熱くなっていく。逃げるにも体が言うことをきかず、頼りない足を必死に地面の上に立たせているだけで精一杯だった。何もされていないのに、体が思い出してしまう。その先に訪れる感覚が何か、生温い温度を持ってゆるゆると溶け出すように溢れてくる。
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