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内緒の関係
【secret.9 消去デリート




「依緒、早くご飯食べちゃいなさい。遅れるわよ」
「はーい」
 依緒は慌しく椅子を引くと、大きなあくびをしながら座った。今日はトーストか、と母お手製のブルーベリージャムをべったりと塗り、もぐもぐと口に運ぶ。朝ごはんに味わうという余裕はない。とにかく何かを胃に詰めて、戦場という名の学校へ向かうのだ。
 元気の良いアナウンサーの声がテレビから流れてくる。生き生きと話すアナウンサーを見ながら、大変だなと思う。朝のニュースを受け持つアナウンサーは出社が夜中の3時だと、前にテレビの特集でやっていた。放送業界に、寝るという言葉はないらしい。
 そう考えると、今も二階でぐっすり寝ているだろう和泉の健康が気遣われた。何万人というファンの熱い想いと名声は手に入るが、その一方で身を削らなきゃならない。芸能人が早く亡くなってしまう理由も、よく分かる気がした。
「お父さんは」
「昨日から帰ってないわよ。いつものことだけれど、仕事に熱が入ったパパは止められないから」
 母はくすりと鈴が鳴るように笑うと、拭いた食器を棚にしまった。依緒は曖昧に頷きながら、テレビを見つめていた。ニュースは昨日起きた通り魔事件について報道した後、芸能の話題へと変わった。色々な情報を伝えるためとはいえ、コロコロと雰囲気やカラーが変わって忙しない。
 特に興味もなくぼっーと見ていると、よく知った顔が映し出されて思わず口に含んだ牛乳を吐き出しそうになった。

 和泉!? と、思わず叫びそうになったが、母がいる手前、ごくりと言葉を呑み込んだ。母は背を向けたまま何か作業をしていて気付いてない。依緒は母の様子を気にしながらも、意識のほとんどをテレビに向けていた。どうやら和泉の新CMをお先にお届けとかそうゆう内容らしい。
 依緒はちらちらと時計を窺ってはテレビに向き直った。もうそろそろ家を出ないと本気でやばい時間なのだが、後ろ髪が引かれるようで、どうしても席から立てなかった。
 CMは、化粧品だった。10代後半から20代向けの新シリーズで、依緒は同じメーカーの以前に出たシリーズのグロスを愛用していた。
 日当たりの良い大きなソファで、和泉と相手役の女の子が向かい合って座っている。女の子は目をつぶり、和泉はチークのブラシを女の子の頬に当ててつけていたが、そのくすぐったさに女の子が笑い出し、二人でふざけながら、というよりいちゃつきながら口紅やグロスなどお化粧をしていくというものだ。

 依緒はいつの間にか食べる手を止めていた。知り合いのラブシーンを見てしまったような恥ずかしさに思わず固まってしまう。演技であそこまで自然にできるのは、やはりすごいと思った。いちゃついている割には嫌味がなく、微笑ましい感じに仕上がっている。何より相手役の女の子がすごく可愛らしくて、同性の自分さえ、思わずぽーっと見惚れてしまうくらいだ。ドラマで共演している白雪姫の女の子に負けず劣らずの容姿である。しかも、和泉の悪魔な面はひとかけらも出ていなかった。かっこよくて優しい彼氏という役を見事に演じていて、このCMでさらに人気が出そうな予感がする。
 アナウンサーがCMに感嘆の声を上げ、さらりと化粧品の発売日を告げた。依緒は新シリーズのグロスが欲しくなって、つい耳をそばだててしまった。
「依緒、間に合うの?」
 母がおろおろとした表情で声をかけてきたので、依緒ははっと我に返り時計を見、わっと声を上げて慌てて立ち上がった。そして、食べ終わった食器を忙しなく重ねると、カバンを引ったくって走り出した。

「お、おはよう」
 チャイムと同時に教室のドアを開けると、窓際の後ろ席で梨枝子と知香が談笑していた。二人はぜいぜいと苦しそうに息をする依緒を見ると呆れて笑い、梨枝子が「間に合って良かったね」と微笑んだ。
 無事間に合ったことにほっとしたのも束の間、梨枝子の顔を見て昨日のことを思い出し、依緒は、さっと顔を青ざめた。
「梨枝子!! あ、あのね」
「ん?」
 梨枝子がきょとんとしながら依緒を見上げる。依緒はそのまま昨日の弁解をしそうになったが、ふいにもう一つの視線に気付いた。知香は瞳をぱちくりと丸くして、興味津々な顔で見ている。依緒は言葉につまり、「あ、今日って宿題あったっけ」と苦笑いをしながら、うまく話をすりかえた。

「梨枝子! 昨日のことなんだけど」
 休み時間、梨枝子が岬に用があると行って教室を離れたのを良いことに、依緒は後を追いかけて捕まえた。岬には悪いが、こっちの方が重要なのだ。依緒は首を左右に振って挙動不審に辺りを窺うと、人通りの少ない階段の曲がり角に梨枝子を引き寄せた。梨枝子は促されるままに移動すると、「ああ」と思いついた声を上げ、依緒に向かって微笑んだ。
「もしかして彼氏のこと? 大丈夫だよ、誰にも話してないから」
「ち、違うの。彼はね、彼は……そ、そっくりさんなの!」
 梨枝子が目を見開いた。よし、この言い訳いける! と依緒は心の中で拳を上げる。
「ちょっと前から家で居候してるんだけどね。あ、親戚だよ、親戚の人なの。それでね、自分が和泉に似てるってよく言われるからって調子のってて、ホント、バカだよね。会った人には誰にでもあんなこと言って、反応を面白がってるんだよ。あ、この間も和泉の真似しててね。あはは。だから彼は全然違うの! 彼氏でも何でもないの!」
 依緒はやや息を乱して話しながら、心の中で思っていた。嘘って怖い。感心するほどペラペラと舌がまわり、次から次へと出てくる。頭は空っぽでも、自分の中に住むもう一人の人物が勝手に話してくれているような不思議な感覚だ。

 依緒は引きつった笑いを浮かべて梨枝子の反応を待った。ごくりと唾を飲み込む音が大げさに聞こえる。梨枝子は暫く呆然としていたが、そっと耳元に寄って囁いた。
「でも、彼、やっぱり社和泉くん、でしょ」
 くすりといたずらっぽく囁くと身を引いて、「良い人だよね。わたし、ああゆう人好きだよ」とにっこり笑って付け加えた。
 依緒は何も言えなくなってしまった。ここまで知られてどう弁解したら良いというのか、もう何を言っても全てが無駄なような気がした。考えてみれば、梨枝子なら本当に誰にも話さない気もする。依緒は全てを吐いてしまいそうな衝動に駆られた。秘密は、重くなるほど誰かに話してしまいたくなるものだ。
 依緒は覚悟を決めて口を開けた。
「だーれが、好きなんスか」
「え!?」
 聞き覚えのある声がして、依緒は言葉を呑み込み振り向いた。すると、ぶっすーと膨れっ面をした岬が立っていた。どうやら梨枝子を迎えに来たらしい。機嫌が悪いのは、梨枝子がなかなか来なかったせいだろう。岬は顔に正直に出るので分かりやすい。
「あ、ええと」
 梨枝子は困ってわたわたとしている。全くタイミングが悪すぎる。依緒は誤解を解こうと声をかけたが、岬に遮られてしまった。
「あ、依緒先輩は邪魔しないで下さいね。ちょっと梨枝子先輩借りますんで」
 そう言って、戸惑う梨枝子の手を取って連れていってしまった。ごめん、梨枝子! あとで絶対に誤解とくからね、と依緒は連れ去られる梨枝子の背中に手を合わせた。しかし、おそらく、後ではもう遅いのかもしれないが……。
 依緒は小さくため息を漏らした。






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